精神障害

精神病者監護法に関する批判とその反論

1900年に制定された精神病者監護法は、精神障害者を合法的に監禁することを許した法律と言われ、人権侵害の歴史を作った法律とも言われています。

しかしながら、近年精神病者監護法が本当に悪法だったのか?を改めて考察する研究者も現れるなど、その真価が見直されている面もあります。

今回はそんな精神病者監護法についてわかりやすく解説していきます。

精神病者監護法制定のきっかけとなった相馬事件

相馬藩最後の藩主である相馬誠胤(そうまともたね)という人がいたのですが、その人が統合失調症の(ような)症状を呈し、家族によって自宅に監禁されてしまいます。

それを知った相馬藩の元藩士である錦織剛清(にしごりたけきよ)は、誠胤は病気ではなく、家族による不当監禁であるとして関係者を告発しました。

錦織は、この監禁が、財産横領を図る異母弟相馬順胤らの仕業と考えていたと言われています。

そうしたいざこざがある中、誠胤は、明治25年に病死します。

錦織はこれを毒殺によるものとし、明治26年に再び相馬家の関係者を告訴、

遺体を発掘するという狂行に出ますが、結局毒は検出されず、虚偽の申告をしたとして錦織が有罪になる、そういった一連の出来事を相場事件と呼んでいます。

このことがなぜ、精神病者監護法の制定に結びつくのかというと、当時精神障害者を監禁するということは比較的一般的であったと考えられます。

しかし、その監禁が精神障害者であるということによるのか、それとも別な思惑があるのか、そうした根拠が十分に示されることのない体制となっていました。

そこで国は、精神病者監護法を制定することで、当時野放しになっていた、座敷牢や民間の収容施設を取り締まろうとしたのです。

つまり、この法律は「監禁を合法化した」というのは間違いではないですが、正確には「不適切な監禁をなくそうとした」ことが、本来の趣旨であり、そこをきちんと踏まえたうえで批判や議論をしていく必要があります。

精神病者監護法に対する評価と反論

精神病者監護法においては、精神障害者を社会にとって危険な者とみなしたうえで、私宅監置室(座敷牢)への隔離を家族に義務づけるものであった、私宅監置(座敷牢)を合法化した悪法であり、患者の監置という社会防衛義務を家族の責任として課した一方で、行政は精神障害者保護に公的責任を果たさなかった。

そのような批判が散見されます。

ここでは、そうした批判に対する反論をしていきます。

精神障害者=危険と考えていたか?

監護義務者が私宅監置を行おうとする場合、不法な監禁が行われないように厳格に医師の診断が要求される仕組みがあったとされています。

監置されていた者は皆、危険な行為があったことも報告されており、「精神障害者を社会にとって危険な者とみなした」のではなく、「危険な行為を行うおそれのある精神障害者」に対する監置が行われていたとも理解できる。

監禁が自傷他害に対してやむなくとられていた対応であると考えれば、見方は大きく異なります。

家族に責任を押しつける法律だったか?

家族に監護・監置の責任を押しつけるという印象が強いですが、監護義務を果たす能力、資力がなければその義務を免除されるという規定があったとされています。

病院での治療費の支払いを免除されるケース、家族の希望により監護を拒否されたケースもあることがわかっており、全て家族に押しつけるという表現が適切であるか問われると疑問が残ります。

しかし、一方ではこうした家族が様々な責任を免除されるケースがどの程度あったのかについては、詳細がわからないため、押しつける側面がなかったとも言い切ることはできません。

そのあたりは今後も情報収集を続けながら、中立的に考えていく姿勢が必要になるでしょう。

行政は責任を回避していたか?

精神病者監護法は、「私宅監置を認めた法律」、「家族に責任を押しつける法律」として知られていますが、措置入院の前史となる行政主導による病院への公費監置、救貧的(福祉的)な機能もあわせもつ市区町村長が監置責任者となる仕組みもあわせもっていたと言われています。

精神病者監護法には、医療に関する規定がないという欠陥があるものの、不法監禁の防止、貧困層に対する公費監置、衛生と保安という社会防衛的な点については肯定的に解釈できるという見方もあり、行政が果たしてこなかった責任、行政が果たしてきた責任をしっかり見極めたうえで議論を進める必要があるかと思います。

まとめ

精神病者監護法は批判の多い法律ですが、肯定的な側面もあることを知っておく必要があるでしょう。

むしろ、病院がない、診断技術がない、治療法がない中で自傷他害の危険があった場合、何ができるのか?

そう考えていくと、非常に選択肢が限られていたという事実もあると思います。

当時は、精神病の原因は狐憑きであると言われたり、滝行で治療しようとしたりという時代ですので、治療法どころか、精神障害に関する知識も十分にはありませんでした。

もちろん批判すべき側面もあります。

現代の精神障害者に対する差別や人権侵害の根源は精神病者監護法だと言う人もいます。

確かにそういう面もあるかもしれません。

しかし、我が国にどんな背景があっても、今の精神科医療を作っているのは、今の専門家です。

現代において起こっている精神障害者に対する差別や人権侵害を過去の法律のせいにすることこそ、行政や専門家の責任逃れだと思います。

こうした歴史を知ったうえで、わたしたちひとりひとりが何を心がけ、何に取り組んでいくのか、そうしたことを考えていくことが重要だと思います。

専門家、当事者や家族、地域で生活するすべての人が手を取り合っていける社会になるための努力を始めてみませんか?

なお、精神病者監護法に関する新たな視点についてはこちらの本を参考に記載しています。興味がある方はぜひ読んでみてください。

その他、おススメの本です。

Oisix(おいしっくす)